ベトナム旅行
娘二人とベトナムへ女の旅に行ってきました。
現地在住の友人に会いに行く予定が、友人家族の事情で一時帰国に。知人がいない途上国へ娘を連れて行くのは不安だったけれど、たった4日間でベトナムが大好きになった私。
いろんなことがありました。
ベトナムでの移動はほとんどがバイク。
信号も少ないし、あっても誰も守らない。大きな交差点を渡る時も各自安全確認して横断です。超恐怖。数cm横をバイクがすりぬけるなんて当たりまえで、クラクションを鳴らして「どけどけ!」の合図があちこちから聞こえてくるけれど、何が何だか分からない。

このような中を歩いて横断するのが、ベトナムでの交通ルール。バイク(というか原付)の4人乗りを見て驚いたけれど、脚立を片手に抱えていたり、物干しざおを抱えながらの原付走行にはもっとびっくり。
そして、世界遺産のハロン湾は絶景。ドラゴンボールのような景色が続きます。



街中では、道端に出店とプラスチックの椅子がいっぱい。 あちこちでヒマワリの種やいか焼きを食べながら談笑していて楽しそう。
こんなお店がいっぱい。
とってものどかだけれど、観光客の私たちは押し売りに狙われてばかりいました。 笑顔で近づいてきて、腐ったバナナやマンゴを高額な料金で売りつけられたこと数回(もちろん買っていません)。満面の笑顔で、マスク3枚を日本円で10000円くらいで売りつけられた時はビビりました。断ったとたんに、満面の笑顔からムッとした顔に豹変されるのも日本人にはちょっときつい。
日本人の品格というか、大切にしたいものはなんだろうと考える機会になりました。目先の優しさではなくて、真の意味での途上国への支援についても考えさせられます。
そして、ベトナムでは英語はほとんど通じません。ベトナム語で会話します。もう少し英語が通じるかと思っていたけれど甘かった。
タクシー移動でドライバーへの説明係は高2娘に任命(地図を見せながら)。
買い物をするときの、お店の人との値段交渉は娘二人に任命(メモに数字を書きながら)。
ホテルのフロントとの行き違いは私の説明ではまったく通じず、娘の笑顔とジェスチャーで何とか解決。
言葉が通じないから、到着後に3人で真っ先に覚えたのは、ベトナム語の「こんにちは」と「ありがとう」。お店やホテルやレストラン、どこでも現地語で「シンカムオーン(ありがとう)」。
この旅行中に、ふと思い出したことがあります。それは娘が小さかった時のこと。
たび重なる引っ越しで孤独な育児だった時、「この子が大きくなったら、一緒に海外旅行に行ったりする親子になりたいな」と思ってがんばっていました。その頃のことを思い出し、「あ、そうだ、それが今なんだ」と思ったら涙が溢れてきました。
この旅行のプランと支払いはもちろん私ですが、現地でのコミュニケーションや道案内は娘に助けられてばかり。孤独に育児を頑張っていた頃の私は娘に助けられる日が来るなんて想像できなかった。
子育ては人間育て。何歳になってもその年齢なりの悩みが続きます。赤ちゃんだったころは抱っことおっぱいばかりで「自分の時間がほしい」と願った日々でしたが、今では「自分でやるから放っておいて」と言われてしまうようになりました。そして進路のことやカレシのことなど悩みが尽きることはありません。この先になっても、就職とか結婚とか孫の出産とか、心配は尽きないはず。
でも、間違いなく言えることは母になれてよかったということ。母親として人間として、娘からも育ててもらっていると思います。
「子育てで大変なのは一瞬だよ」とよく言われたけれど、その最中にいるときはそんなことは思えなかった。とても焦っていた。でもその時期を過ぎた今、その時の育児生活にどっぷりつかってもっと楽しめば良かったとも思う。
この子たちの母親になっていなかったら、私はさら助産院を開業しませんでした。病院勤務のままだったと思います。
出産や母乳育児を経験し、母乳育児支援の大切さを感じました。孤独な育児経験を通して、地域の子育て支援活動を始めたいと思いました。そして、蔓延する性情報から我が子やまわりのお友達を守りたいと願い「いのちの授業」が始まりました。大げさなようですが、私の活動の原動力になっているのはすべて娘です。
そんな、さら助産院ですが、今年のお仕事は終わりです。来年は1月3日から始まります(1月3日は「15時から」のみ空きあります)。
今年もたくさんのベビちゃんとママとの出会いがあったこと、心から感謝です。ありがとうございます。来年も、幸せいっぱいの年になりますように。
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