« 4月のベビマクラス | トップページ | こども虐待について② »

2013年4月28日 (日)

こども虐待について①

連日のように虐待報道が続いています。

聞くたびに、つい顔をそむけたくなる報道。かわいそうに・・・。死んでしまうなんて・・・。どれだけ苦しかっただろうと思うと涙が出てきます。

「母が子供を愛する以上に、子供は母を愛している」と聞いたことがある。母親は子供との時間以外に楽しむ方法があるけれど、子供にとっては母親から与えられるものがすべて・・・。全信頼を母親に寄せている。その母親に見放され、いのちを絶ってしまう悲しさ・・・。

本当にひどい。こんなにかわいい子供を見放すなんて。暴力をふるうなんて。そう思う。

でも、

その一方で、母親たちの気持ちを思うと同じように苦しくなるのです。

心がさみしくてカラカラだったんだろうな、苦しかったんだろうな、と。

思うようにならない育児に叫びたくなったり泣きたくなった経験は、ほぼ全員の母親にあるはず。何をしても泣きやまない、何を訴えているのか分からない、疲れているのに夜中に泣きだして起こされる・・・。

誰にでも、思うようにならない育児にイライラすることや、激しく揺さぶりたくなることや、怒鳴ってしまう時はあると思う。でもそういうときに行動に移すかどうかは、その母親を支えてくれる人がいるかいないか、その違いではないかと思うのです。

「頑張っているね」と言ってくれる人がいるかいないか。「いつもありがとう」と言ってくれるご主人。また実家の両親や、ご近所さんや、お友達や、行政の保健師や、地域の助産師・・・。誰でもいい。「大変だよね」と共感してくれる人がいるかいないか。「頑張っているね」「すごいね」「いいお母さんだね」と認めてくれる人がいるかいないか。

誰でも認めてほしいという欲求はある。でも、特に赤ちゃんとのコミュニケーションは一方通行のように感じてしまう。返事もないし何を思っているのか分からない。誰にも認められない。休憩する時間もない。冷静になる時間もない。育児がこんなに大変だとは思わなかった。こんなに孤独だとは思わなかった。いい加減にしてほしい。そんな気持ちになるのはだれにも責められないのでは?

どの母親も、新しいいのちを授かったと知った時、そして新しいいのちが生まれた時は幸せいっぱいだったはず。このいのちを一生大切にしていこうと誓ったはず・・・。始めから「いじめてやろう」「殺してやろう」と思って生んだ母はひとりもいない。

でも最近の報道を見ていると、虐待をしている母親は「鬼母」「狂気」と、あたかもその人が特別極悪人のような表現が。こんな報道をしていたら、「私も同じような気持ちになることがある」「助けて」と訴えることすらできないのでは?

昔のように二世帯三世帯の家族であれば、誰かが抱っこしてくれて冷静になる時間もあったはず。でも今はマンションの核家族がほとんど。冷静になる時間もない。泣き声から逃げることすらできない。

虐待でわが子を死に追いやった母親は、取り返しのつかない現実にうちのめされていると思う。後悔して後悔して苦しんでいると思う。亡くなった命の叫びに思いを巡らすと同時に、ここまで追い詰められた母親の苦しさを思うとたまらなくなる。

虐待には「地域の目」とよく言われますが、「地域の目」とは「虐待を発見する目」ではなく、「やさしく見守る目」であり、「頑張っている母親を認める目」なのではないかと思うのです。頑張っていることを認めてもらい冷静になったら、虐待しそうな自分を止めることができるかもしれない。もしも虐待している母親をみつけたら、責めるのではなく、そこまで追いつめられるほど頑張った努力も認めてあげてほしい。そうしたら、本来の優しい気持ちを取り戻すこともあるのでは?

最近続いている虐待報道についての、私個人の意見でした。

|

« 4月のベビマクラス | トップページ | こども虐待について② »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

おしらせ」カテゴリの記事