いじめ問題(ひとりごと)
毎日のように報道される、「いじめ問題」。
警察が動き、裁判も始まり、今までうやむやにされてきた何かが大きく変わっていく気がします。それは大津のいじめ自殺事件だけではなく、水面下でおきているいじめ問題もすべてにおいて。
「いじめ」問題を解決することは難しい。
だって、大人になっても「いじめ」はなくならないのだから。気に入らない人がいたら、集団でその人を無視することもある。自身はその人のことを何ひとつ知らなくても、親しいお友達から悪口を聞いたという理由だけで一緒になって冷たい態度をとる…こんなことは大人社会でも日常で起こっているのが現実。
子ども社会のいじめでも加害者側が大人数のケースが多いから、加害者側の保護者が「わが子は悪くない」と集団で意見を一致させてしまえば、被害者側の保護者はつらい。保護者間でも強者と弱者の関係が成立してしまう。「正しい」「間違っている」ではなく、人数が多い集団の意見が強くなってしまう。
いじめ問題が報道される中、一部のタレントさんや著名人が「私もいじめを受けていました」とコメントをするのを読み、こんなに多くの人が苦しんできているんだと驚くとともに、苦しい記憶を思いだして発言する勇気に感心します。
私自身も、過去にいじめにあったことがあります。でも、その体験は、心の奥にふたをしていて、思いだすことを心が拒否したままで今日に至ります。思いだそうとしても、呼吸が荒くなり、苦しくて思いだすことができない。過去の体験として私自身が乗り越えることができておらず、いまだに心の根っこで私を苦しめ続ける記憶。
辻仁成の「海峡の光」という本の中で、過去のいじめられた体験を理性では忘れているつもりでも、心の奥深くの部分がずっと傷ついたままで…という難しい心理描写のシーンがありました。大人になっても、ずっと心の中でひたひたと自分を脅かす記憶。こんなに長い時間相手を苦しめることをした(している)とは、加害者側は想像もしていないことでしょう。
いじめられたという過去、いじめられるということは、無意識のうちに自身の自己肯定感を下げてしまうように思います。それは私の場合、「いじめられたほうは悪くない」と言われても、いじめられる側にも非があったにちがいないと自分を責めてしまうから。
この記事には書きたい思いがたくさんあって、でもまとめられなくて、更新するのに10日以上かかりました。下書きしては消して…を繰り返して、うまくまとめることができません。
ただ…。
いじめにあい、自殺した子、集団暴行にあった子、飛び降りた子…。この子たちのことを「世界中で一番かわいい宝物」として大切に大切に育ててきたご両親の心中を思うと本当に苦しい。この子たちのご両親方の、悲しみや悔しさでぽっかり空いた傷口に塩を塗るようなことだけは、もうやめてほしいと願ってやみません。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 高島大さん講演会(2015.06.07)
- ママが自分の幸せに気づく日(2015.05.10)
- 癒しの休日(2015.05.06)
- 花便りのころ(2015.03.22)
- ひなまつりと性教育(2015.03.03)

